私はこれまでずっと苦しい生き方をしていました。
その根本原因が長年ずっとわからなかったのですが、
最近まさにこれだったというものに気づきました。
それは「人に認められるために」
という動機で生きてきたことです。
誰もが認められたいし
そうされると嬉しいものです。
しかし、その思いが多くなれば
いつしか自分の考えよりも、
「周りにどう思われるか」が基準となってしまいます。
人に認められることが無意識のうちに
目的になってしまっていたのです。
そして、そのような生き方が
徐々に自分を蝕んでいることに
気づいていませんでした。
人に認められることに重きを置けば、
自分は人の意見に振り回されていきます。
他人軸で動いているわけです。
いつも自分はぐらついてしまいます。
自分を保つのに必死になるので
余裕がなくなってしまいます。
ですので、他者や環境に
本当の意味で関心を向けるエネルギーが乏しくなります。
つまり視野が狭くなるということです。
他者に目を向ける時は
「相手が今何を思っているか」という関心ではなく
「相手が自分をどう見ているか」という
目の向け方をするのです。
そして自分が認められるのを求めるわけですから、
人を心から認めて親しくなることができません。
無意識に、人を優劣で見ていたり
上下関係の付き合いとなってしまい、
和気あいあいと和むことができなくなっていました。
私がこのような苦しさを感じるのは主に仕事だったのですが、
「この時にはこうしなきゃだめ」
「経験年数がすべて」
などという思い込みで職場にいました。
人より優位に立っていれば安心し、
人より劣位を感じる時はどこかしら緊張してました。
もちろん、その感覚をはっきり感じていたわけではなく、
どこか苦しい、生きづらいという感覚です。
そして自分にとって
天地をひっくり返すような事態が起きたことにより
ようやく目が覚めたのです。
心理学者マズローの「欲求の5段階」
というものがあります。
中学生くらいで学びます。
私は、自分の生きづらさの原因の大元に気づいた時、
その説を思い出しました。
私は4段階目で止まっていたのだとハッとしました。
人は満たしていく必要のある欲求があります。
それを下の段階から満たしていけば、
次の段階を求めていくようになります。
ですが、私は4段階目の承認欲求を満たすことに
随分と時間を費やしていました。
本物の充実感、満足感というものは
5段階目でなければ得られません。
私は一時的にそのような感覚を感じることがありましたが、
それは偽りのものでした。
実は、私の心と身体は教えてくれてはいたのです。
それは偽の満足感だよ、と。
何もする気になれない、
仕事が終わるとぐったりする、
楽しさを感じられないなどなど・・・。
それは「本当の自分を生きてないよ」
というサインでした。
ですが、その意味には長年
気づけていなかったのです。
私が4段階止まりだったと気づいた時、
「これまでの自分は一体何だったんだろう」と
ハタと立ち止まりました。
そして本格的に人生を見直す必要があるのだと思いました。
4段階目の次は自己実現の段階です。
そこを目指して歩みを進めていかなければ、
いつまでも自分の本物の人生を味わえません。
その手前にいれば
私の人生にはいつも他者が必要であり
かつ他者の言動に一喜一憂し
自分の本当に望む道にエネルギーを使えないのです。
自分の本当に望む道に進む時、
承認してくれる人もいれば
してくれない人もいるでしょう。
しかし、全員に承認、賞賛を求めるよりも、
そしてそれを満たす喜びよりも
もっと自分にとって
大切な欲求を満たす喜びがあるのです。
本当の望みに向かい取り組んでいる時に得る満足感が
さらに次のエネルギーを生み出します。
もっと良くなりたい
磨いていきたい
極めていきたい
良いものを作っていきたい・・・
そんな意欲が次々湧き上がってくることでしょう。
それは、自分の人生の生きる意味を
感じさせてくれるプロセスとなり
人生の真の喜びを味わえる境地となることでしょう。
それはもちろん幸せとイコールです。
私自身はまだ道半ばですが、
そちらに向かって進む、
そう決めて動き出しただけで、
すでに自分にエネルギーが
湧き上がっているのを感じています。