私たちは日常の中で悩みを抱えることがよくあります。
ただ、同じ現実でも
それが悩みとなってしまう人もいれば、
全く何ともない人
上手く対処できる人もいます。
悩みとなるように
私たちを突き動かしているものがあるのです。
それは未完了の感情です。
感情には、嬉しい、楽しいもありますが
完了できていないのは
怒り、悲しみ、寂しさなど
ネガティブな感情です。
それが癒やされず、消化しないまま放置され
記憶の底(潜在意識)に沈んでしまった。
それは特に覚えていなくても、思い出さなくても
現実面で起きていることとコラボレーションするように連動し
緊張や不安や寂しさなど
不快なこととして認識、強化されていきます。
自動装置のようなものです。
ですから、顕在意識の自分では
どうして不安になってしまうのか
どうして緊張してしまうのかわからず
自分をなだめたり、鼓舞しようとしたりしても
なかなかうまくいかないのです。
先日、私が電車の中で見かけた光景です。
5歳くらいの女の子と3歳くらいの男の子が座っていました。
お父さんらしき人は少し離れた場所で、
スマホを見ながら立っていました。
お姉ちゃんは弟に話しかけたり
ちょっとおふざけの延長のようなちょっかいをかけていました。
弟は、お姉ちゃんのちょっかいが嫌だったのか
途中で泣き出してしまいました。
すると、少し離れたところにいたお父さんが近づき
お姉ちゃんにかなりの大声で叱りつけました。
お姉ちゃんは何の反論もできません。
お父さんは感情のままにお姉ちゃんを叱っていたように見えました。
そして、また元の位置に戻りました。
お姉ちゃんはというと、ぐっと涙を堪えるような表情で遠い目をし、
電車の揺れでそのまま眠ってしまいました。
私は向かいの席でその一部始終を見て
あぁ、こうして未完了の感情が
記憶の底に沈んでいくんだなぁと感じました。
育児をしていればこのようなことは
日常的にあるのかもしれません。
女の子は、弟をいじめていたわけでは決してなく
たいくつな電車の中で弟と
楽しい時間を過ごしたかっただけなのでしょう。
お姉ちゃんはとても嬉しそうだったのです。
でも、それが度を越してしまった。
お父さんはその様子を見ていたわけではなく
離れたところから弟の泣き声を聞いて、
一方的にお姉ちゃんを叱りつけたのです。
お父さんの迫力はすごくて
とても小さな子が言い訳などできる様子ではありませんでした。
お姉ちゃんは、弟と遊びたかった気持ちや
一方的に怒られた悲しい気持ちなど
全てを抑え込んでしまったことでしょう。
そんな日常のごくありふれた一コマは、
大人になってまで覚えているような
大きなことではないでしょうが
お姉ちゃんが味わった悔しさや悲しみなどは
消えてしまうわけではないのです。
そのような出しきれなかった心の痛みがいくつも蓄積され
人生での歩みの端々で、傷との自覚がないままに
自動的に現実と連動し、
ある時には自責の念、
ある時には人への恐怖心など
悩ましい現実を形づくってしまうのです。
未完了の感情を意識化することは
特に、重大なことやショッキングな出来事でもなければ
なかなか難しいですが
静寂の中での自分の心との対話や
心を委ねられる人に話しを聞いてもらううちに
あれかな、もしかして・・・などと
湧き上がってくるものがあることでしょう。
いえ、むしろ未完了の感情は
実はあなたに気づいてほしくて
大人になったあなたの現実に連動するように
あなたを突き動かしているとも言えます。
プラチナバリューカウンセリングでは
あなたの未完了の感情に気づき
癒やしていけますようお手伝いさせていただきます。