訪問看護師をしていた頃のことです。
訪問看護を続けていたある年配の男性Aさんが、
何度となく役所や生活保護で担当しているケースワーカーさんに電話をかけ
文句を言っている、と
担当のケアマネージャーさんがこぼすように教えて下さいました。
Aさんは、少し気難しいところがあり言動に気を配る必要があったため、
こちらも緊張感を持って訪問に伺うような方でした。
ケアマネージャーさんからご様子を聞いて数日後、
訪問する機会がありました。
その時、なぜ役所やケースワーカーさんに電話をしていたのかの
理由の一つがわかりました。
新しく眼鏡を作りたいが、
その際の検査代や費用はどうしたらいいのかということを
尋ねたかったようです。
それが、担当する方がよくわからないから、という理由で
返答までの時間を伸ばしたり、
自分で調べず他部署に任せるような様子だったため、
何度か電話をして聞く必要があったとのことです。
訪問時、担当の方や公的機関の職員に対する不満を
延々と語っておられました。
眼鏡が合わず不自由なままで過ごすのはストレスで、
それを相談しても相手からは
面倒を避けたいという様子がありありと感じられ、
自分がしつこく聞かないと答えてもらえない
という思いだったそうです。
ところでそのような不満は、
裏を返すと「自分のルールブックと違う」という不満です。
Aさんにとっては、公的機関であれば
困っている人に対して親身になって力を貸すこと、
たとえ自分の担当ではわからないことであっても
たらい回しにするばかりでなく、
聞いてきた人に誠意を持って返答まで行うことを
自分のルールブックに照らし合わせて期待していたわけです。
どのような人間関係であっても
相手に対して怒ったり不満を持ったりすることは多々あり
その大元は自分のルールブックを基準にし
相手に求めていることです。
Aさんの言うことはもっともなことであり、
その主張は間違っているとは私も思いません。
ただ、先方の担当部署や担当者にしたら
おそらくそのような対応をせざるを得なかった理由が
相応にあることでしょう。
そこで私は不満を口にするAさんに
「Aさんはこれまで仕事で
相手が困っていることは親身になり、
たとえわからないことでも誰かに確認するなどして、
最後まで誠実に対応することを大事にしてきたんですね。
そんな仕事の姿勢でやってこられたんですね」
とお伝えしました。
するとAさんの表情が柔和になり
相手を責める口調が
ヤレヤレといった諦めの口調に変わっていったのです。
その人が持っているルールブックは、
その人が生きてきた中でできたものです。
言うなれば
「自分はこのように生きてきた」
という証でもあります。
ただそれは、人それぞれに持っているものです。
自分の主張ばかりしてしまうと、
人間関係においては摩擦や亀裂だらけとなります。
ですから、自分と相手との間においては
自分の主張を一方的に言うのではなく
自分の意見と相手の意見を対等に扱うこと
話し合いを通して共通の到達点を探すようにすること
などが大切となってきます。
訪問時にAさんにお伝えしたのは、
どちらかの肩を持つということではなく
Aさんの「ルールブック」を
「あなたの大切にしてきたルールブックなのですね」
と認めていくことでした。
それは、自分の思うようにいかない様々な事象に対し
自分の主張ばかりが通らない
諦めていかなければならない部分を受け入れるのに
役に立ったのではないかと考えます。
自分への理解や尊重が誰かからもらえると、
どこか相手へも理解や許容、尊重できる隙間が
自分の中に生まれてきます。
その「誰か」が決して第三者ばかりでなくても、
「自分自身」であっても本当は良いのです。