私の心理カウンセリング体験記

 

誰かに心理カウンセリングをさせていただく前、

私自身も受ける側でありました。

そのときの体験を書かせていただきますね。

 

私は日頃から”しっかり者”の自分であるように

人前で見せていました。

そのため、いつも生真面目で堅苦しく、

くだけた話しに交わることができませんでした。

また、職場でのミスは

私の存在を脅かすものかのような感覚になり、

かなりの落ち込みにつながりました。

のびのびとふるまう人を見ると

とてもうらやましく思うのですが、

自分ではどうしてもそうできません。

いつも、自覚するしないにかかわらず緊張し、

知らないことを「知らない」ということも

なかなかできずにいました。

そのため効率よく仕事ができず

信頼が下がる(ように感じる)などで、

余計自己否定につながっていました。

そんな自分に疲れ果て

生き方に限界を感じ

ある日心理カウンセリングに申し込みました。

 

 

 

カウンセリングを受ける中で、

私自身が幼少期、両親から受けた養育によって

「私はありのままの感情を見せてはいけない

(ありのままの私は重要ではない)」

という思い込みを持ったことに気づきました。

続いて心を静寂にし

その頃の自分をみていく時間がありました。

 

幼い私は自分の感情を

胸の中にある四角い箱の中にしまっています。

なぜ出さないのか聞いてみました。

すると「出すと身の危険を感じるから」というのです。

正直な気持ちを出すと怒られる、親が不機嫌になる、とがめられる・・・

などの体験を「身の危険」と指してしたのです。

実際は身体的な危害などはなく、

それほどではないと思うのですが、

幼い私にとっては十分に恐ろしく感じることだったようでした。

それはもともと明確に自覚していたわけではなく、

セラピーの中でそのように口をついて出た言葉でした。

 

 

『子どもを生きればおとなになれる』の著者クラウディア・ブラックさんは、

幼少期に自分の感情をしまい込むしか

生きるすべがなかったことを

「情緒的な見捨てられ体験」とし

本の中で以下のように書いています。

 

情緒的な見捨てられ体験は

身体的な見捨てられ体験よりも多くの人が経験しているもので、

かつたいていの場合は巧妙な形で隠されています。

それがどんなものかを理解するには次の説明が役立つでしょう。

見捨てられ体験とは、要するに次の二つのことなのです。

 

❶親(あるいは主たる養育者)が子どもの感情やニーズ

(必要とするもの、要求)に無関心だったり、

情緒的に不在の状態が続く。

だから子どもは適切に感情を感じたり表現することができない。

いつも他の誰かのニーズが優先で、

子どもが唯一関心を持ってもらえるのは、

他の誰かのニーズを満たしてあげるときだけ。

 

❷子どもが受け入れてもらうために

(あるいは拒絶されないために)

本当の自分を一部隠さなければならない。

たとえば次のような状況でそれが起こる。

・この家では、間違うことは許されない。

・感情を表わすことを認められなかったり、

 あなたの感じ方はよくないと言われる。

 

私自身の幼少期にも、

上記のような体験があったということです。

確かに、我が家の両親

特に母親は不機嫌でいることが多く、

私は母を何とかしなければと

いつも機嫌を取る方法を考えたり

喜ばせようと振る舞っていました。

当然のごとく私の感情は、

母にも、そして私自身にも

強く関心を向けられてはいなかったのです。

その頃の母は母の現実を生きること

(冷淡な姑、無関心な夫、身勝手な両親や姉妹)

で頭がいっぱいだったと思います。

 

 

そのやり取りの後、幼少期の私に

「どんな感情を出してもいいんだよ」と伝えました。

すると、「私の大事な宝箱だから出すのはいや」

というような、抵抗する感覚が現れました。

親に見せると怒られるけど

自分にとっては大事な感情です。

もっともなことです。

ですので感情は人に見せるものや表現するものではなく

幼い私はそれを宝物の箱にしまっておきたいようです。

なので

「無理に出さなくてもいいからできる範囲でちょっとづつ見せてね」

とお願いしました。

すると、少しもったいぶりながら

箱から白いスカーフを

1枚ずつひらひらと取り出す様子が見えました。

そのように感情というスカーフを

少しづつ見せてくれている幼い自分に

「それでいいんだよ。ありがとう」と言って

大人の私の胸の中に入れ

一体になった感覚を味わいました。

胸が温かくなるような、

満ちるような充実した感覚になりました。

そして

「いつも一緒にいるからね。

どんなことがあっても私が守ってあげるからね」

と声をかけたのです。

 

すると、幼い自分は真顔でしたが

身体をさまざまなに動かし、

喜びを身体で表現している様子が見えました。

ふざけているような、おだっているような

そんな様子です。

それを見ている大人の私は、思わず苦笑です。

 

でもそうだった、私は子供のころ

元気いっぱいでよくふざけていたな、ということを思い出しました。

これが本来の私なのです。

 

 

 

いつもしっかりしなくては、と身構えるのは

しっかりとした自分に見せようとしている「フリ」です。

いつもだと疲れてしまいます。

でも、本来の私は

遊ぶ、ふざける、動き回る、ハメをはずすなど、

しっかりしているどころか

ハチャメチャな子供だったのです。

そんな様子が脳裏に蘇り、

それからは胸の中で幼い私と一体になっている感覚

ことあるごとに思い出すようにしました。

 

ふざけることの好きな幼い私は、

今の私が見ていると思わず笑ってしまいますが、

とても愛らしいと感じます。

そして生真面目だった私の生き方のハンドルも

いつしか緩まっているのを実感しています。