正しく線引きする

 

いつかは忘れましたが、私が子供の頃のことです。

6歳年上のいとこのお姉さんが家に遊びに来ていました。

母がいとこにお菓子や飲み物などいろいろ出して

もてなしていました。母にとっては可愛い姪っ子です。

 

時間が経ち、母がさらに

何かの果物を「むいてあげようか?」などと

いとこに勧めた時のことです。

いとこは「おばちゃん、もういらないわ」と言いました。

一見なんてこともない会話ですが、

その会話が当時の私にはとても衝撃的だったのです。

母の勧めを断るということは、

私にはとてもできないことでした。

ただ、その自覚もなかった頃のやり取りだったのです。

その光景を見た時

何かドキッとするようなギクっとするような

感覚になったことを覚えています。

私にとっては禁句に思うことをいとこが言っている。

そんな感覚です。

当時のこのやり取りは、大人になってからも

ふとした時に思い出されるのです。

 

 

翻って、私自身は大人になるにつれ

自分の生きづらさを自覚するようになったのですが、

その大元には

人との境界線の曖昧さがあることがわかってきました。

人との境界線ができるためには

まず母親との間に境界線ができる必要があります。

人は乳幼児の頃は母親と自分が未分化な状態です。

成長するにつれ自我が芽生え、

母と自分が別な存在であることを認識し

確固たるものにしていきます。

しかし線引きがうまくいかないと、

他者との間にも境界線がうまく引けず

トラブルや心の不自由さなど

生きていく中でさまざまな支障が出てきます。

 

最近、とても参考になった(ドキリとした)

メルマガを受け取ったので

少し長くなりますがご紹介したいと思います。

「鏡の法則」を出版された野口嘉則さんのメルマガです。

 

私たちは、家族だとか身近な人に対して、
さまざまな期待を持ってしまいますよね。

「このくらいのことはわかってくれるはずだ」とか、
「私の意見に反対しないはずだ」とか、
「以前お願いしたことを覚えていてくれるはずだ」とか、

いろいろな期待を持つわけです。

しかし、実際のところ、
相手が期待に応えてくれないことって、
日常茶飯事のごとく、よくありますよね(^^;

そんなとき、
不機嫌になって黙り込んだり、
腹を立てて、相手のことを責めたり、
相手のことを変えようとして説教をしたり
するとしたら、

それは相手に対して強く甘えているということ
ですよね(^^;

この甘え(=依存)のことを
「母子一体感」と言います。

この「母子一体感」は、
本来、幼児が母親に対して抱く「甘え」であり、

母親を「自分とは別の人間」として認識できていない
心理状態でもあります。

つまり、母子一体感とは、

「お母さんは僕(私)の欲求を
満たしてくれて当たり前」

「お母さんは僕(私)の気持ちを
わかってくれて当たり前」

「お母さんは僕(私)の期待に
応えてくれて当たり前」

という、
子どもに特有の依存心(甘え)のことなのです

そして子どもは、成長していくにつれて、

「母親が常に僕(私)の期待に応えてくれるわけではない」

ということを受け容れるようになり、

やがて、健全な「離別感」を持つようになります。

 

「離別感」とは、

「相手には相手の事情がある。

相手は私の思いどおりになる存在ではない」

という「大人の心理」です。

しかし、実際のところ、

大人になっても
「母子一体感」を手放すことができない人は
かなり多いと思われます(^^;

「母子一体感」を手放すことができない人は、

家族だとか身近な人が、
期待どおりの反応をしてくれないと、

不機嫌になって黙り込んだり、
腹を立てて、相手のことを責めたり、
相手のことを変えようとして説教や非難をしたり
してしまうわけです(^^;

(中略)

子どもが親に対して母子一体感を持つことは
自然なことですし、

また、それが適度に満たされることは、
心の発育にとって大切なことです。


乳幼児時代に、
しっかりと母子一体感を満たすことができた子どもほど、
つまり、存分に親に甘えることができた子どもほど、

心理的な自立がスムーズに進みます。

(中略)

乳児時代の子どもにとって、
「言葉」は不要でした。

自分が泣いているだけで、
その理由を母親が察して、
自分の欲求を満たしてくれたのです。

しかし、
子どもは年齢とともに多様な欲求を持つようになり、

「泣いて訴えるだけではその欲求を満たせない」
という事実に直面するようになります。

また、子どもは、
自分と母親以外の存在、たとえば父親や兄弟姉妹を
意識するようになり、

自分と母親の二者だけで成り立っていた世界が
幻想であったことに気づくようになります。

そして、
「母親には母親の事情があり、
母親は常に自分の欲求を満たしてくれるわけではない」
ということも理解するようになります。

そうなると子どもは、
自分の多様な欲求を満たすうえで
母親の助力が必要な場合、

言葉を使って母親と会話をし、
母親を説得しなければならなくなるのです。

こうして、「自分」と「母親」の間に、
「言葉」という第三の存在をはさむことにより、
「三者関係」が成立するわけですが、

この「三者関係」こそが、
子どもの心の成長を促すのです。

言葉で説明しなくても察してもらっていた「二者関係」は、
とても楽で、甘くて、心地よい関係でした。

ずっとそこに安住したいと思えるような
そんな快適な関係でした。

一方、
自分の考えていることをいちいち言葉で説明し、
さらに母親の気持ちを言葉で聞き出し、
そのうえで会話(説得、交渉)をしていかなければ
ならない「三者関係」は、
極めて面倒くさい関係です。
まさに大人の関係です。

つまり、二者関係から三者関係に移行することは、
子どもにとって極めて面倒で、残念なことなのです。

しかし、この面倒くさい「三者関係」を通してこそ、
子どもは幼児的な万能感を手放すことができ、
「思いどおりにならないことへの耐性」を高めながら、
心理的に成長していけます。

また、この「三者関係」を通してこそ、
こどもの「言語化能力」と「コミュニケーション能力」が
発達するのです。

 

なかなか図星な結論で、

他者との間でもやもやしたりイライラしたりする時に

ふと我に返って思い出しているメルマガです。

「そうだ、ちゃんと言葉にして伝えよう」と。

 

ところで、私がうまく

母への要求を言語化できなかった原因には

自分でも思い出せないような理由が

たくさんあるように思いますが

いとこのエピソードを思うと

やはり母のことが怖かったのだろうと思います。

正確にいうと母に嫌われるのが怖いです。

本音を言ったらいけないとの思いがずっとありました。

自分の思ったことを安心して、ためらいもなく

自由に言える相手ではなかったのです。

甘えたいけど率直な思いを口にして嫌われるのが怖い。

そんな感覚を抱え

自分の甘えが不十分なままで成長した結果

母との線引きがうまくできず

他者への線引きもできにくくなった、

すなわち他者との関係性の悪化を繰り返したり、

素直な自分を出せないなど

生きづらさが続いたのです。

ただ、少しずつ安全な場(カウンセリング)で

自分を言語化していくことを積み重ねていったことで

随分と自分という人間の輪郭がはっきり

してきたと感じています。

まだまだ他者との間の線引きが

曖昧になってしまうことも多くありますが、

メルマガに書いてあるように

日常生活の中でも言葉で自分の意思表示をしたり

相手に伝えることを怠らないでいきたいと思っています。