本当に目指すべき姿は○○になること

 

私たちが、本当に目指すべき姿とは

もっともっと社会的に価値がある人・・ではありません。

明るく人を勇気づける人になることでも

人に親切で寛大な人になることでもありません。

自分が自分になることです。

自分が自分自身になる、ということです。

え?どういうこと?

だって、もうなっているじゃないの。

と思う方もいるかもしれません。

そうです。

そうなのですが、

本当に自分自身になっているでしょうか?

 

 

 

私たちの周りには

尊敬できる人や羨ましく思う人がたくさんいます。

私たちは、そのような人を見て

あの人のようになりたい、目指したいと思う時があります。

それは言い換えると

自分ではない自分になろうとしている時です。

皆さんはこれまで、

どちらかというと

自分ではない自分になろうと努力してきたことの方が

多かったのではないでしょうか。

私を例にあげますと

子供の頃は親の前で

良い子、強い子、心配のいらない子として振る舞う。

学校では優等生として振る舞う。

就職してからは

有能に見せようとし

さらに学校に行き資格を取る。

これまでの人生のどの場面を切り取っても

自分ではない自分を演じたり

理想の人になるための努力をしていたといえます。

それで生きづらさが楽になったか、

幸せを感じているか

心が穏やかでいたか

というと全くそうではありませんでした。

いえ理想とする自分になろうとすればするほど

自分がわからなくなり

なんとも言い難い心地悪さや不安が増し

生きづらくなるのです。

自分の存在に自信がますますなくなってくるのです。

自分が自分でいることに、心もとなさがあるのです。

だからこそ自分にないものを持っている人を見ると

今の私ではまだまだダメだ、やっぱりダメだ

あの人のようにならなければ、と

ますます追い詰めてしまうのです。

 

なりたい自分、理想の自分になろうとすることは

自分ではない自分になろうとすることです。

その前提には自分を嫌い、否定している自分がいます。

ありのままではいけない、と思っている自分がいます。

その考えが根付くには

ありのままを受け入れてもらえなかった過去が

おそらくあったといえるのでしょう。

すべてを覚えているわけではないですし、

むしろ覚えてない方が多いのだろうと思います。

 

ですが、覚えている・いないに関わらず

何らかの理由で私たちの多くは

自分はありのままではいけないと思い

自分ではない自分になろうと努力してきました。

努力し続けてきました。

いじらしいほどに、です。

その努力の原動力となっているのは

自分ではどうしようもない

悲しみ、理不尽さ、心の痛みなどです。

その不快な感情・感覚を和らげたり

避けたり、麻痺させるべく

し続けてきた努力です。

 

もし、まだ未熟、未発達な生育期から

自分のありのままを認めてもらえていたら

このような努力はしなくてよかったはずです。

ですが、生まれ落ちた環境も両親も身体も

自分ではどうしようもなかったのです。

そういう意味では私たちは運命に無力でした。

 

だからこそ、自分に味方をするべく

わかってあげてほしいのです。

本当は悲しかった

本当は寂しかった

本当は苦しかった

本当は悔しかった・・という

ありのままのあなたの気持ちに。

もっというと

一緒に感じてほしいのです。

ありのままのあなたの気持ちを。

 

 

自分が自分の

ありのままをしっかり感じられた時

等身大の自分でいる心地よさを感じられます。

自分は自分以上でも自分以下でもない。

自分は自分以外の何者でもないと。

そんな時でも、

尊敬できる人に対しては尊敬の念を持ち

憧れる人に憧れを持つことはあるでしょう。

ただ

尊敬できるものを持たない自分でも

憧れるような特別な才能や長所がない自分でも

自分でいて心地がいいと

どこか感覚的に感じられているはずです。

私は私。あなたはあなた。

どちらがいいとか悪いとかではなく

ただ違いがあるだけと。

 

 

プラチナバリューカウンセリングでは

そのように感じられるあなたになれるよう

お手伝いさせていただいています。