期待には沿わなくてもいい

 

以前の私は当たり前

「期待には応えるものだ」という

固定概念がありました。

あることにも気づかなかったくらいです。

自分が可能な限り相手の意を汲み、

期待に沿うのが当然だと思い、

ほぼそのように行動してきたと思います。

ただ私はいろんなことで不自由さ、

窮屈さを感じながら生きてきました。

長年その根本原因は見つからず、

年を重ねるごとに心身がどんどん疲弊していきました。

そしてついに、原因の一つに

この固定概念があったことがわかったのです。

 

 

 

 

さかのぼれば、

幼少期から親の有言無言の期待に沿うことが

当たり前だと思ってきました。

両親は私にとっては怖い存在だったのです。

姉は精神的に弱い部分があり、

幼少期から母によく叱咤されていました。

母の期待するように振る舞えなかったからです。

そんな姉の様子を見て、

私はそうであってはならないことを

無意識のうちに学びました。

両親の期待するような成績や振る舞いをし、

喜ばせ、気分良くさせるのが子供の私にできることでした。

なぜなら、通常の両親はおおむね不機嫌で

私は不安な時が多かったからです。

 

 

ストックホルム症候群という言葉があります。

ハイジャックされた飛行機で

犯人に人質が好意を持ってしまった現象です。

私に起きていた現象はこれに近いものでした。

 

弱い者にとって

脅威となる支配者の下で生き延びるためにできるのは、

相手に迎合し、相手の意に沿うように振る舞うことです。

そうすることで

何とか人質となっている不安な時間を

危害がないようやり過ごします。

恐怖で感情も思考力も麻痺しています。

子供の私も同様に、

恐怖によって自分の感情や思考力を失い、

両親の意向が自分の意向であると

勘違いしてしまっていました。

私の場合、大人になってから

自分の感情や思考力のなさには気づいていましたが

両親が私にとって怖い存在だったと

自覚したのは最近になってからでした。

それまでは優しい両親だと理想化していました。

そのくらい自分の感情がわからなくなっていたのです。

本当の優しさであれば、

自分なりの理想があったとしても

子供の様子を見て、

子供の思いを尊重するはずです。

私の両親は子供より自分を優先させていました。

精神的に未成熟だったというわけです。

子供に向ける期待とは、

両親の甘えであり、

自分で満たせていない空虚感を

子供で満たそうとする行為なのです。

子供のエネルギーが親に搾取されているということです。

子供が無気力になって当然です。

もっと恐ろしいのは

「期待に応えなければ私は価値がない」

と思い込んでしまうことです。

 

 

他者に向ける期待とは、

繰り返しますが

その人が自分で自分を満たすことなく、

人の時間やお金、エネルギーで

自分を満たそうとすることです。

「期待に応えなければ価値がない」

と思い込んでいる私は、

人の期待には当然応えるものだと思い込んでいるため、

ずるい人にさまざま搾取されてきたと思います。

お金も随分流れてしまったと思います。

今はそんなからくりがわかって、

「期待に応えなければ価値がない」と思っていた私に

「期待に応えなくても私のままで価値がある」

折りに触れて自分に愛を送っています。

 

期待にはさまざまな表現があります。

なにかのお誘い、

私を思ってくれているかのような言葉、

弱っているところを見せることなど、

一見、期待しているとはわかりにくいものもあります。

しかし、期待をする人は甘えている人

という見方ができるようになったことで、結局は

相手が自分の益になることを目的としているのか

もっというと自分のことしか考えていないのか否か

わかるようになってきました。

それは、相手自身も

はっきり自覚していないことかもしれません。

ずるいことを考えていたものならともかく

多くの人は自覚もないままに期待しているのでしょう。

おそらく両親がそうだったように。

ですので、それぞれに合った言い方や方法で

NOを伝えるようにしています。

そして”期待に応える”のではなく、

本当に自分がしたいことに対して

自分のエネルギーを使うことにしています。

 

 

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