「自分を認める」「受け入れる」「ありのままの肯定」の意味とは?

 

「自分を認める」「受け入れる」「ありのままを肯定する」・・・

かつての私が嫌いな言葉でした。

これらの言葉のイメージを、私はひと括りに

「自分を良しとする」ような意味合いに

感じていたからです。

「こんな自分が良いわけがない」

「嫌いな自分を受け入れられるわけがない」

このように感じていたものです。

 

 

ですが、学びを続けていくうちに

「自分を認める」も「受け入れる」も、

自分が若い頃から思っていたイメージとは

少し違うのだなと思うようになりました。

少なくとも「自分を良し」と

位置づけるのではないのです。

 

 

 

言いたいことが言えない

すぐ落ち込んでしまう

すぐ緊張してしまう・・・などなど

不完全で不自由な自分を

表現が難しいのですが、

あきらめとも言えるような境地にいること。

食べ物でいうと「不味いなぁ」

と味わうような境地でいること。

それが、自分を認める、受け入れる

自分のありのままを肯定するということだと

理解するようになりました。

 

 

不完全、不自由、否定的・・・

な自分への思いは、とても味わいたくはありませんが

それでも味わった場合は

「不味いなぁ(この中身は様々ですが)」と

不味さを味わうこと。

それが、自分を認める、受け入れる

自分のありのままを肯定する、

という言葉の中身なのですね。

落ち込んでいるなら

「落ち込んでいるんだよね」

緊張で固まってしまうなら

「緊張しちゃうんだよね」

不安で落ち着かないなら

「不安だよね」

あの人が憎いと思ったら

「憎いと思うよね」

というようにです。

 

 

どんな感情、思い、感覚も

持ってはいけないものはない、と腹をくくるのです。

そう感じたり思ってしまう自分を許すのです。

許す、ということがわからなければ

自分がそう感じたり思ってしまうのは

当然なのだ、もっともだ、あるいは仕方がない

自分に対して味方をするのです。

 

 

 

 

逆を考えるともう少しわかりやすいかもしれません。

自分を認めない、受け入れない

自分のありのままを否定する、とは

味で例えると、とても「不味い」と感じるのに

「大丈夫、たいした不味くはないよ」とか

「この不味さもなかなか美味しいよ」とか

「不味いわけがないよ」などと

軽く見積もったり、なかったことにすることです。

前向きで強いように思いますが、

それでも「不味い」のが自分の真実ですから、

その「不味さ」を感じる苦痛と

「不味さ」をごまかす苦痛とで

もっともっと苦しくなっていきます。

 

 

それに引き換え

とても味わいたくない思いがありながらも

「不味いなぁ」とそのまま味わうのは

苦痛ではありますが

実はその「不味い」食べ物(思い)を

自分に消化していく一番の方法です。

人は苦痛を避けたいものなので

何とか蓋をしようとしたり

見て見ぬふりしたりなど

意識に上らせないように押し込めようとするのですが

覚悟を決めて

自分の真実をしっかりと味わった人が

次へのステップ(=自己成長)に進むことができるのです。